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        東京理科大学理学部第一部数学科 教授 安部直人
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2012年11月22日 16時56分
背理法と矛盾
 「矛盾」の定義が高校の教科書のどこを探しても書いて無いことに気付きました。
これでは、「導かれる」(構文論)と「正しい」 (意味論)が区別できなくなって、背理法の中間結果もすべて正しく、自分は証明中の数学的内容もすべて解っていると思い込む人が多いのも仕方がないことです。

 「矛盾」とは、ある命題Pに対して、「Pかつ¬P」という合成命題のことです。

よって、命題「A」の背理法の証明とは、

(公理や定義等の大前提と)「¬A」を前提として、
いくつかの(形式的)推論を重ねて、
「P」と「¬P」(または「Pかつ¬P」)を導き(構文論)、
矛盾を宣言する。

これで、[背理法の原理]により、命題「A」が定理であると保障される。
このときの、「Pかつ¬P」は恒偽命題です。

 一方、直接証明では「導かれる」ものは「正しい」のですが、
これが背理法の証明中でも通用すると思っている人は、
 × 「P」と「¬P」が共に「正しい(真)」
ことが矛盾であると思っています。これは、完全な誤解です。命題とは(原理的に)真偽が定まるものと定義されていますので、× の解釈では P は命題ではなくなってしまいます。正しくは、
 ○ 「P」と「¬P」が共に「導かれる」 (構文論)。


 なお、「Pかつ¬P」は恒偽命題ですから、論理学における定理:

「偽な命題(矛盾)からは任意の論理式(真偽を問わず)が導ける」[矛盾法則]

が使えるので、どんなことでも証明できます。つまり、背理法の証明では、潜在的な矛盾に気付かず(または、意図的に矛盾を宣言せず)に推論を続けていけば、何でも証明できてしまいます。勿論、「Abe=Obama」という偽な命題も証明できます。つまり、背理法の証明では任意の形の矛盾(指定可能)を導いて完結させることが可能なので、本質的に異なる無数の別証が創れます。


矛盾法則の応用例:

(笑)補題(J.N.Abe)  1=2 ならば、任意の自然数 a,b につき、a=b である。

自然数論においては、「1≠2」は証明可能ですから正しく、「1=2」は偽な命題ですから、矛盾法則の特別な場合で証明不要ですが、それらしい(直接)証明をします。

[(笑)補題の笑明] 数学的帰納法により、
「 1=2 ならば、任意の自然数 a につき、a=1 である。」
を証明すれば十分である。
k=1 のときは、k=1で成立する。
k のとき k=1 が成立するとして、k+1 の場合を考える。
帰納法の仮定より k+1=1+1=2 であり、
仮定 1=2 より、k+1=2=1 が成立する。[笑明終]

 この補題では仮定の「1=2」が偽な事が明らかですが、次の系のように使うと大定理の反例を「導く」ことができます。勿論、「導かれ」ても仮定が偽なので、それ自体は正しい主張ではありません。

(笑)定理 log2=0.3010 ならば、任意の自然数 a,b につき、a=b である。

 3^3+4^3 も 5^3 も自然数であるから、次の系が得られる:

(笑)系 
 log2=0.3010 ならば、3^3+4^3=5^3 (Fermat-Wilesの定理の反例)である。

[(笑)定理の笑明] 
[log2=0.3010⇒2=1]
(1) log2=0.3010= 0.301
という仮定と常用対数の定義から、
   2=10^0.301
両辺を1000乗して、
   2^1000=10^301=2^301・5^301
2 に関するベキ指数を比較すれば、
(2)  1000=301
であり、両辺から 301を引き、その両辺を 699 で割れば、
   1=0
この両辺に 1 を加えれば
(3)  2=1
これに、(笑)補題(J.N.Abe)を使えば、
任意の自然数 a,b につき、a=b が導かれる。[笑明終]

 この笑明をみると、馬鹿馬鹿しいことは一目瞭然ですが、
(1)を背理法の仮定 (正しくない)
とし、(2)の等式がでたところで、
「1000≠301」(正しい)と矛盾する
と宣言すれば、
「log2≠0.3010」(正しい)
の「背理法による証明」となっています(「log2 は無理数」の背理法証明とほぼ同じ推論を使っています)。背理法による証明は、原理的にこのような馬鹿馬鹿しいことをしていることになります。

 なお、「log2 は無理数」は高校数学教科書では背理法を用いた証明ですが、
直接証明は一文で、

背理法無用:「log2 は無理数」の証明:
「自然数 a,b につき、
2^b は 5 を素因数に持たないので 2^b≠10^a=2^a・5^a、
よって 2≠10^(a/b) なので常用対数の定義から log2≠a/b.。」

 この非背理法証明では、「log2 は無理数」の場合同様に、証明の一行一行(共に実質2行ですが)が自明なこと(や定義)のみです。これと、高校数学教科書にある背理法を用いた証明(行数も)と比較してください。背理法証明はバカな証明と思いませんか?
 これらの直接証明は自明で、誰にでも思いつける証明ですから、歴史的に初めて私が思いついたとは思えない。それなのに、わざわざ難解で下手な背理法を高校数学教科書に載せている理由は何でしょうか?
 思いつくことは、現在は
「大学の教科書(特に、微積分学)に背理法の証明が多くある」
(実質:背理法でしか証明できない教員が多く、バカな背理法証明をそのまま教えている)
ので、その準備のために
「背理法の証明を練習しておく」
(実質:背理法に練習は不要ですから、単にバカな背理法証明に慣れさせておく)
ことが必要と思っている大学・高校の教員が多いのではないか。
 つまり、教員自身は自覚していないかもしれませんが、実質は:
自分がバカな背理法でしか証明できない怠慢な教員が、若く批判力もないうちに違和感を与えないようにバカな背理法に慣れさせ、次世代にその怠慢のツケを払わせるという負の文化遺産継承の構図が浮かびます。

 高校数学教科書にある背理法証明は、生徒をバカにする以上に、教師は「自分はバカだ」と喧伝するようなことを薦めているのです。検定教科書が国策の一部とすれば「愚民政策」です。


 更に、同様の直接証明で、
「自然数 c につき、常用対数 logc が無理数になるための必要十分条件」
が得られます。なお、自然対数については、
「1でない正有理数 c につき、自然対数 logc が無理数」
ということが背理法を用いず証明できます。これは少し面倒ですが、直接法は証明を容易に分割できますので、いくつかの簡単な部分の積み重ねとして理解可能です。
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