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        東京理科大学理学部第一部数学科 教授 安部直人
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2012年11月16日 02時56分
背理法と対偶法
 「背理法」と「対偶法」は共に間接証明ですが、完全に異なるものです。
 先ず、「対偶 ¬B⇒¬A」は「元の命題 A⇒Bと同値な命題」であって、「背理法は証明法」ですから論理の階層が異なります。これは、高校数学Aの説明どおりです。
 「元の命題」を「直接証明」する替わりに、「対偶」を「直接証明」する証明法が「対偶法」です。つまり、証明の一番最初に「元の命題の対偶をとる」という推論をする(同値な命題なので、元の命題が正しいならばこれも正しい)直接証明の一種です。よって、「対偶法」では仮定の下中間結果はすべて正しい主張で理解納得できます。
 「背理法」の証明で、「実は対偶を示している」ことが多くあります。このような背理法はすぐに「対偶法」に直せます。(勿論、これが背理法の形のすべてではありません。単に簡単に非背理法に直せる例です。他の形の背理法も勿論非背理法に直せます。)
「A の仮定の下、B である」の背理法証明:
「(0) (A の下)
(1) ¬B と仮定する。(背理法の仮定: Aの下正しくない)
  ・・・(A を仮定として使わないいくつかの推論)
(2) ¬A (導かれる: A の下正しくない)
故に、(0)と(2) は矛盾する。(導かれる:論理的に正しくない)
よって、
(3) B (導かれる: 背理法の原理により A の下正しい)」

これを直接証明に直すと
「A ⇒B の対偶である¬B⇒¬Aを示せば良い。
(0) (A を仮定しない)
(1) ¬B と仮定する。(以下(2)まで上と同じ)
  ・・・(A を仮定として使わないいくつかの推論)
(2) ¬A (導かれる: ¬Bの下正しい)
ゆえに、
(3) ¬B⇒¬A (導かれる: 正しい)」

 このように対偶法に直しても証明の中間部分は変わらないことが多いが、背理法の場合には、A の仮定を付けたままであると、その中間結果も正しくない主張で理解納得できなくなる。対偶法の場合、仮定の下中間結果はすべて正しい主張で理解納得できます。
 大量の背理法証明にに慣れて、中間結果の数学的意味を (考えても無駄と無意識に悟り)考えない習慣がついている人(研究者に多い)の中には、背理法と対偶法の区別がつかなくなっている場合があります。

 ただし、通常仮定は複数でありそのどれが A に相当するか明らかでないことが多いので、初めて証明された当時は背理法になるのもやむを得ないと思います。しかしながら、微積分学に出てくる多くの定理は百年以上前に証明されている筈なのに、現代の教科書にも、対偶法にすぐに直せる背理法(どの本もワンパターン)が多くみられます。「背理法は、証明中に正しくない中間結果が大量に出てくるので、誰も完全な理解納得をできない」と自覚していない教師・著者が多いことの証と思います。
 いくつか対偶法に直してみれば、その効果は実感できます。特に、途中の結果も仮定の下すべて正しいので、一旦直したものを丸暗記するだけでも損をしません。

 背理法は、正しくない中間結果(他へ使えず、理解納得できない)も覚えることになり、丸暗記すると大変危険です。また、背理法に慣れてしまうと、中間結果の数学的意味を (考えても無駄と無意識に悟り)考えない習慣がついて、誤った数学的主張に対して鈍感になります。

 例えば、外国の紙幣で偽札を見分ける訓練をするのに、
「真札を百枚、偽札1を百枚、偽札2を百枚、・・・、偽札9を百枚計千枚みせる」
という訓練をしても、偽札の種類(真札でないものすべて)は無数にあるので、
「真札のみを千枚みせる」
という訓練の方が実践には有効でしょう。

 実際、私は背理法を使わなくなってから、数学専門書・啓蒙書等で今まで気付かなかったいろいろな習慣的誤り(特に意味論的な)が見えてきました。特に、線形代数と微積分に関係するものについて別ページで挙げていきたいと思います。
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